『頭文字D』藤原拓海の好敵手、小柏カイとMR2、MR-Sについて解説

スポーツ系

『頭文字D』藤原拓海の好敵手でミッドシップマシンの使い手、小柏カイと彼の乗ったMR2、MR-Sとはどんな車だったかを解説!

原作:しげの秀一 「頭文字D」
『引用』https://hs-tamtam.co.jp/product/detail/49155/

はい、今回は『頭文字D』及び『МFゴースト』に登場するキャラクターで小柏カイについてと彼の乗ったMR2、MR-Sとはいったいどんな車だった?についてお話ししたいと思います。
とその前に彼が主に活躍した作品の『頭文字D』について軽くふれたいと思います。

『頭文字D』の概要

『頭文字D』とはしげの秀一先生を原作とする峠を車で速く走る事を目的に走る「走り屋」と呼ばれる若者たちを題材にした物語で「週刊ヤングマガジン」(講談社)より1995年〜2013年まで連載された作品で、コミックスは全48巻をヤンマガKCより発行されました。

アニメシリーズは第1期〜第5期までスタジオスコット、スタジオぎゃろっぷ、パステル、A.C.G.T、SynergySP、などで制作され、フジテレビ系列ほか、アニマックス、パーフェクトチョイスプレミアなどで1998年〜2014年まで放送されておりました。

主人公はトヨタAE86型スプリンタートレノを操る藤原拓海が前半戦は群馬県の秋名山を中心に下りスペシャリストとして数々のライバル走り屋達とのバトルを繰り広げ、その後は他県にも乗り出しバトルを通じて互いに成長していく物語です。

そして今回、スポットを当てる『頭文字D』の主人公、藤原拓海の好敵手の1人である小柏カイと彼の乗ったマシン、MR2、MR-Sについてもどんな素性の車だったのかを深堀りしたいと思います。

『頭文字D』の主人公、藤原拓海の好敵手の1人、小柏カイとは?

『引用』原作:しげの秀一 「頭文字D」

小柏カイとは栃木県日光を拠点に活動する走り屋で登場当時は19歳でした。今の『MFゴースト』の主人公、片桐カナタと同じ歳ですね。

口調はやや挑発的で物事をハッキリ言うタイプで同じく日光を拠点にしている走り屋チームのエンペラーの面々も保々歳上が多かったはずですが、エンペラーのリーダー須藤京一に対してもさん付けこそしますが、そこまで敬語で話さない感じの若者でした。

しかし、そのドライビングスタイルは正々堂々とした勝負を信条とし、敗北した場合でも自分には足りないものがあるんだと素直に受け入れて相手をリスペクトする精神をもったいいヤツです。

また、彼の父親である小柏健も元ラリードライバーで現在は引退して中学校の教師をしておりますが、現役時代はなんと藤原拓海の父親である藤原文太の最強のライバルでもありました。

カイはそんな父、健からカートレースの英才教育を8歳から受けており、レースキャリアは拓海よりも早いです。
そして高校時代はバイクの走り屋をやっていていろは坂のコースレコードを塗り替えるレベルで、四輪の運転免許を取得してから公道デビューを果たします。

特に幼い頃からレーシングカートを操っていたので同じミッドシップレイアウトの車である父親健の愛車MR2にも馴染むのが早かった様です。

さらにカイは元々はバイクの走り屋だった為、シビアなバイクの走りに比べたら車は転倒する訳ではないから気楽だとも言っておりました。

ちなみにカイが秋名山を走っていた時に偶然にも藤原文太のドライブするAE86トレノとすれ違った時に、カイはモータースポーツのキャリアが長いだけあって瞬時にすれ違った相手がかなりの腕のたつドライバーである事を本能的に察知しておりました。その時、文太の方も「なかなかのいい腕だ…。」と言ってました。

藤原拓海 VS 小柏カイ

『頭文字D』では藤原拓海と小柏カイは2回ほど戦ってます。

1回目の時は栃木県日光いろは坂で対決しました。当初はカイがMR2でエンペラーの岩城清ニ(ランエボⅣ)を倒していて、次はリーダーの須藤京一(ランエボⅢ)を撃破するつもりでいましたが、その須藤京一が藤原拓海のAE86トレノ(グループAエンジン仕様)に敗北した為にターゲットを藤原拓海のAE86トレノに変更したのがこのマッチメイクとなった経緯です。

この対決に先立ち、カイの父、健は最近は中学校の教師と言うこともあり、カイが走り屋やってるのも快く思っておりませんでしたが、相手が文太の息子だと知ったとたんに「それなら話は別だ」とカイに打倒、藤原拓海の秘策、86を先行させてからのインベタのさらにイン、秘技ヘアピンジャンプショートカットを伝授します。

一方、文太の方も相手がかつての最強のライバル小柏健の息子だと知ると拓海に秘策、いろは坂版の秘技溝落としを伝授する熱の入れようで正に代理戦争の様相となりました。

対決は拓海のAE86トレノの先行でスタートします。戦いは互角の展開で進みますが、勝負を急いだカイが予定よりも早く、秘技ヘアピンジャンプカットを繰り出します。呆気にとられていた拓海でしたが、早めにその技を繰り出された為に精神的に立ち直る時間の有余がありました。

拓海は超人的なドライビングセンスでいとも簡単にカイの繰り出すジャンプカットをコピーしてしまい、最終コーナーのヘアピンで秘技、いろは坂版溝落としを繰り出して一気に並びます。

そして狭いトンネルストレートで並び、橋を飛び出してジャンプして軽く横Gを残しつつ着地したポイントが拓海のラインは落ち葉少なめ、カイのラインにはたんまりと落ち葉があり敢え無くスピン。よくクラッシュしなかったなって感じです。

で、このいろは坂の対決では拓海が勝利します。

カイは素直に拓海と文太のことを称えて「またどっかでやろうぜ。」と言い残して去って行きました。(イケメンですね。)

『引用』原作:しげの秀一 「頭文字D」

2回目の対決は神奈川県と静岡県の堺にある長尾峠でのダウンヒルバトルでした。その頃はカイもプロドライバーになって駆け出しの頃でプロチーム「レーシングチームカタギリ」の一員として皆川英雄と共に「プロジェクトD」と対決します。

この時は自身のMR-Sに乗りさらに磨きあげたテクニックを見せつけつけて拓海を苦しめます。しかし、最後の最後で絶対に無理だと判断したラインを曲がっていく拓海の限界を超えたコーナリングラインにプロの意地で突っ込むもののガードレールがない事や衝突を避けなければならないとの判断で回避する為に意図的にスピンをして大きく引き離されて2度目の敗北を喫します。

カイは「お前はそっちの世界を極めろ」と話してガッチリ握手をして去って行きました。(イケメンですね。)

なんか「北斗の拳」の強敵と書いて友と言う的な感じでしょうか。

今後は『MFゴースト』での登場を期待しましょう。

『引用』原作:しげの秀一 「頭文字D」

MR2とMR-Sってどんな車?

『頭文字D』には作品を彩る数々の国産名車が登場しますが、今回の藤原拓海の最強のライバルの1人に数えられる小柏カイのドライブしたMR2とMR-Sとはどんな車だったのでしょうか。

1.MR2(SW20型)〜


『引用』https://toyota.jp/ucar/catalog/brand-TOYOTA/car-MR2/

まず、MR2は初代AW11型(角張ったデザインのやつ)が日本初のミッドシップレイアウトのスポーツカーとして1984年〜1989年まで発売されました。1.6Lの4A-GLU(130ps)や1.5Lの3A-LU(83ps)が搭載され、最強版が1.6Lの4A-GZEスーパーチャージャー(145ps)が登場しました。

そして2代目MR2としてSW20型が1989年10月に発表されます。エンジンはノンターボ(G、GLimited)の3S-GE型(165ps/19.5kg)とターボモデル(GT)の3S-GTE(225ps/31.0kg)の基本ラインナップでした。

ただ、このSW20型はデザインはフェラーリのような洗練された今でも古さを感じない美しいデザインなのですが、出たばっかしの通称Ⅰ型が特にターボモデルがこの動力性能に対してバランスが悪く、せっかくAW11とは違ってミッドシップに相応しい前後異サイズのタイヤ幅なのに14インチタイヤ(パワーに対して小さい)とかあり得ないわっ!てのとLSD(リミテッドスリップデフ)が入ってないのとか元々FF車のパワートレインを前後逆にして組んだ名残で重心位置が高いのとで特にターボモデルの方はバランスが悪いモデルでした。

当時ビデオマガジンのベストモータリングとかでも現役レーシングドライバーをもってしても危ない車と烙印を押されてしまいます。ノンターボの方はまだパワーが大人しいのでバランスがいいと感じれましたがターボはピーキー過ぎてヤバかったです。

でもトヨタはその後改良を加えてすぐさまⅡ型を発表します。主な変更点は足廻りを徹底的に強化とタイヤもF195-55ZR15、R225-50ZR15とサイズアップしてバランスを整えてGT系には標準でBILSTEINショックやビスカス式LSDを搭載しました。ノンターボも含めて改良され、かなりの戦闘力をアップさせます。コントロール性が向上してⅠ型の様にどっかにすっとんで行きそうな不安定さはかなり解消されたのがⅡ型ですね。

実際、ベストモータリングでもスカイラインGT-RやFD3S型RX7やNSX、GTOなどと筑波サーキットなどでバトルを行いかなりいい線(NSXに次いで2位)で戦うまでになってました。
また、モータースポーツの世界でも沢山の実績を積み上げた名機へと成長しました。

そしてMR2はⅢ型からパワーアップやブレーキの強化、その他手を加えられて最終的にはⅤ型までマイナーチェンジをして1999年10月に惜しまれながら販売を終了しました。最終的にはパワーもターボモデルは245ps、NAモデルは200psまで高められました。

個人的にはタイヤホィールサイズはF205-45ZR16、R225-45ZR16が乗っていて乗り味が良かったセッティングだと思います。テールスライド時もおさまりが良かったです。レーシングドライバーの土屋圭市さんもこのセッティングで走ってました。

そして金額的にも若者でもがんばったら手が届き、カッコよくて速くて二人乗りなのに使い勝手もそんなに悪くない。パーツも沢山あって自分達の好みの仕様にカスタマイズして楽しめたそんな車でした。

今の日本では車両価格300万以下でなんか2度と出ない名車です。出たとしてもスーパーカーみたいな価格の車しかでないでしょう。今はカローラでさえモデルによっちゃスーパーカーみたいな金額になってきてますからね。

で、今回の小柏カイの乗ってたのはSW20型のⅢ型のノンターボモデルですね。おそらく、下りとはいえランエボⅣを倒したり、グループA仕様の86トレノにおいていかれなかったパワーをもってるので、Ⅲ型NAの(180ps/19.5kg)ノーマルからは結構いじってるでしょうね。やるとすればハイカム入れたり給排気系やるのと機械式LSDの1WAYか1.5WAYを組んでスポーツコンピュータ入れて当然サスペンションキットやブレーキなんかも替えてるかな、たぶん。

そしてこの車マイナーチェンジを重ねて改良したといっても基本的にはピーキーな部類に入る車なのでリヤの流れ出しが早いのでド派手に横向けようとか思うとそのまんまスパンと回ります。なので腰のあたりでリアタイヤの滑り出しを感知してゼロカウンターとまでは言いませんが角度を抑えたきれいなドリフト角が望ましいです。あとはフロントが予備タイヤとかバッテリー積んでる程度なので軽い為、特にフラットめな高速コーナーはアンダーステアを出しやすいので左脚ブレーキは必須の技術です。冬道とかなら顕著にその特性は出ます。

でもまぁ、今の車には価格も含めて絶対にない魅力的な車ですね。私ももう一度手にしたい車です。(ちなみにⅠ型NAを4年、Ⅱ型ターボを12年乗ってました。)

2.MR-S(ZZW30型)〜

『引用』https://gazoo.com/feature/mrs/23/03/04/

MR2の後継車として1999年10月〜2002年8月(前期型)、2002年8月〜2007年7月まで発売されました。

エンジンは1ZZ-FE型1.8L直4NAで(140ps/17.4kg)

ミッションは5MT、5セミAT(前期型)と6MT、6セミAT(後期型)

SW20型MR2に比べるとヴィッツの基本コンポーネントを流用しただけあってかなり大人しめなパフォーマンスですが、この車はMR2とは質の違う速さがあります。

最大の武器は軽さです。当初は970kgでしたが衝突安全アセスメントに対応したため50kg重くなり1020kgとなりました。

出たばっかりの970kg仕様の時ので当時のベストモータリングでレーシングドライバー服部尚貴選手のドライブでMR2V型NAとゼロヨン対決をしてMR2GLimitedが15秒129に対してMR-Sが15秒397で最後は力負けしましたがスタートから途中までリードしてました。

さらにS15シルビア(NA)、MR2(NA)、ロードスター、シビックタイプR、インテグラタイプR、MGF、とサーキットバトルしましたが、中谷明彦選手のドライブでシビックタイプRやシルビアオーテックを抑えて3位でフィニッシュしてます。

この車は軽さが武器なのとホィールベースがやや長めの比率で取られてるので直進安定性が優れていてコントロールがし易い車になっていてコーナリングも気持ちよく、土屋圭市選手からは86の後継車と言っていい車と評価されてます。

MR-Sはわ〜っ!速い!って車ではなく何となく速いって感じですね。

まとめ

◉藤原拓海の好敵手、小柏カイは藤原拓海と同じく元ラリードライバーの父親から英才教育を受けてた凄腕のサラブレッド。

◉小柏カイは2回藤原拓海に負けたもののあくまでプロ志向が強く、根底には正々堂々と戦いたいと言うスポーツマンシップの気概あふれるいいやつ。

◉小柏カイの乗ったMR2はSW20型のⅢ型NAモデルで車種としては5度のマイナーチェンジをして熟成していった名車。そしてMR-Sもまた軽さを生かしたコーナリングの速い名車。

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